米国公認会計士 加藤 俊(三優ジャーナル2021年4月号)
1.はじめに
地球温暖化という気候変動に伴う海面上昇、洪水、あるいは干ばつといった環境への影響は、何年も前から新聞やテレビのニュース等で頻繁に伝えられておりますが、気候変動は企業活動・業績にも少なからず影響を与えております。気候変動が企業に与えている影響を財務諸表においてどのように伝えていくべきかについては、既に各方面で様々な取り組みがなされていますが、今回はその一環として IFRS 財団 (The IFRS Foundation) によって公表された文書を中心にご紹介いたします。なお、それらの文書においては、気候変動によって生じる事象等を「気候関連事項(Climate-Related Matters)」という用語で扱っています。
2.IFRS財団による気候関連事項についての文書
2019 年 11 月28 日、IASB(The International Accounting Standards Board:国際会計基準審議会)のニック・アンダーソン理事により執筆された記事「IFRS基準と気候関連の開示」が IFRS 財団より公表されました。当記事は、IFRS基準で既に定められている要求事項や、重要性の適用についてのガイダンス、さらにそれらがどのように気候変動リスクやその他のエマージング・リスク ( 例えばコロナウイルス感染拡大のような新たに出現するリスク ) に関連するかについて、投資家の理解に役立つ概要を提供しています。
2020 年 11 月 20 日、IFRS財団は気候関連事項の開示についての要求事項をまとめた教育目的の文書である「気候関連事項が財務諸表に及ぼす影響」を公表しました。当文書は IFRS 基準で既に定められている要求事項について、気候関連事項が企業にとって重要である場合にそれらをどのように検討することを求めているかに焦点を当てたもので、利害関係者の間で高まっているより詳細な情報の提供要請に対応しています。また、当文書は IFRS 基準の首尾一貫した適用を支援するため、関連する基準への具体的なパラグラフ参照を付すことにより、アンダーソン理事の記事を補完しています。本稿では、これらアンダーソン理事の記事及び IFRS 財団による教育目的の文書を要約しています。なお、用語の説明等については私見を含んでいる点、ご留意ください。
3.アンダーソン理事の記事:IFRS 基準と気候関連の開示
「気候変動」という語句自体は IFRS の規定に含まれていないものの、IFRS 基準は気候変動リスク及びその他のエマージング・リスクに関連する課題に対応するものとなっています。アナリストや投資家が IFRS 基準や他の IASB により作成された文書に対する理解を高めるため、アンダーソン理事の記事において述べられている主な内容は以下の通りです。
(1)「重要性の判断の行使」
IFRS 実務記述書第2号「重要性の判断の行使」は、IFRS 基準に準拠して財務諸表を作成する際に、どのように重要性の判断を行使すべきかのガイダンスを企業に提供している。実務記述書には強制力はないものの、企業が気候関連リスク及びその他のエマージング・リスクの開示について重要性の判断を行使する際に役立つ場合がある。
(2) 「重要性の判断の行使」の気候関連リスク及びその他のエマージング・リスクへの適用
実務記述書に記載されている通り、企業が属する業界の状況や投資家の期待により重要なリスクと位置付けられ、財務諸表において開示が必要と判断されるものがある。企業は、単に企業の社会的責任に基づく報告としてよりもむしろ財務諸表との関連においてそれらリスクの検討が必要になる場合がある。
(3) 財務報告における検討事項
気候関連リスク及びその他のエマージング・リスクから生じる財務報告上の影響は例えば、以下の通りである
- のれんを含む資産の減損
- 資産の耐用年数の変化
- 資産の公正価値の変化
- コスト増加、あるいは需要減少による減損計算への影響
- コスト増加、あるいは需要減少に関連して企業に生じ得る負担についての引当計算の変化
- 罰金や過料に関連する引当計算及び偶発負債の変化
- 貸付金や他の金融資産に対する期待信用損失の変化
(4) 気候関連リスク及びその他のエマージング・リスクの開示
重要性の評価は金額 ( 数量的要因 )、内容 ( 質的要因 )、あるいはその両方にもとづいて行われる必要がある。実務記述書はある質的な情報が、その金額に関わらず財務諸表の主たる利用者の意思決定に影響する可能性がある点をより一層強調している。気候関連情報の大部分は現状、財務諸表ではなく、「経営者の解説 (Management Commentary)」等の文書の中で開示されているが、企業によっては、実務記述書における重要性の判断の原則を適用した結果、いくつかの情報について財務諸表そのものへの反映が必要となる可能性がある。
(5)「経営者の解説 (Management Commentary)」- 財務諸表の理解に役立つ文章としての情報を提供
現在、IASB では企業の目的、ビジネスモデル、並びに戦略及び業績を、企業にとっての長期的な成功要因も加味して説明する厳密な原則主義アプローチを設定するため、「経営者の解説」についての実務記述書の更新に取り組んでいる。
4. 教育目的文書:気候関連事項が財務諸表に及ぼす影響
IFRS 基準は気候関連事項に明示的に言及していません。しかしながら、財務諸表全体に照らして重要である場合、気候関連事項の開示の検討が求められる可能性があります。
IAS 第1号「財務諸表の表示」は気候関連事項を検討する際に関連する可能性のある包括的な要求事項を含んでいます。例えば、IAS 第1号パラグラフ 112 において、IFRS基準では具体的に要求されておらず、財務諸表の他のどこにも表示されていないが、財務諸表の理解のために有用である情報の開示が求められています。このパラグラフは、IAS 第1号パラグラフ 31 と相俟って、企業に対して財務諸表から重要な情報が欠けていないか検討するよう求めています。企業は、特定の IFRS 基準の要求事項に準拠するだけでは気候関連事項が企業の財政状態及び財務業績に及ぼす影響を投資家が理解するのに不十分な場合、追加的な開示をすべきかどうか検討する必要があります。
当教育目的文書では、IFRS 基準において気候関連事項の影響の検討が求められる場合について設例が記載されており、それらは IFRS 基準における原則の適用について解説しています。特定のパラグラフへの参照や検討すべき事項の要約については後述の通りですが設例は網羅的ではなく、例えば、気候関連事項が IAS 第 19 号「従業員給付」に準拠した確定給付債務の測定といった他の IFRS 基準の適用に関連する場合もあり得ます。
(1) IAS第1号 財務諸表の表示
パラグラフ 25~26, 122 ~ 124, 125 ~133
- 見積の不確実性及び重要な判断の発生要因IAS 第1号に準拠して、翌会計年度中に資産及び負債の簿価に多額の調整が生じる重要なリスクがあると企業が仮定した場合、その仮定の内容、並びに資産及び負債の簿価の開示が求められる。これは、例えば気候関連事項が資産の減損テストや廃炉義務を履行するために必要となる支出の最善の見積に関連する仮定に不確実性をもたらす場合、気候関連事項についての仮定の開示も求められる可能性があることを意味している。なお、IAS 第1号は、財務諸表で認識された金額に最も重要な影響を与えている判断 ( 見積を伴うものとは別に ) の開示も要求している。
- 継続企業
IAS 第1号は、経営者に財務諸表作成の際に企業の継続企業としての存続能力の評価を求めているが、気候関連事項が、企業の継続企業としての存続能力に関わる事象又は状態に重要な不確実性をもたらす場合、同基準はその不確実性の開示を要求している。
(2) IAS第2号 棚卸資産
パラグラフ28~33
気候関連事項は企業の棚卸資産に陳腐化、販売価格の下落、あるいは製造コストの上昇をもたらす可能性がある。気候関連事項の影響の結果として棚卸資産価額が回復不能となった場合、IAS 第2号は企業に棚卸資産価額を正味実現可能価額まで切り下げることを要求している。正味実現可能価額の見積は、見積時点において入手可能な最も信頼できる証拠にもとづいて行われる。
(3) IAS第12号 法人所得税
パラグラフ24, 27 ~31, 34, 56
IAS 第 12 号は、控除可能な一時差異、税務上の繰越欠損金及び繰越税額控除に対して、将来その使用対象となる課税所得が稼得される可能性が高い範囲内で繰延税金資産を認識するよう求めている。気候関連事項は将来の課税所得の見積に影響を与える可能性があり、その影響の結果として繰延税金資産の認識ができなくなる、あるいは過去において認識した繰延税金資産の認識の中止が求められる場合がある。
(4) IAS第16号 有形固定資産 及び IAS第38号 無形資産
(IAS第16号)パラグラフ 7, 51, 73, 76
(IAS第38号) パラグラフ 9~64, 102, 104, 118, 121, 126
気候関連事項により、研究開発を含む事業活動や業務運営を変更するための支出が生じる可能性がある。IAS第 16 号及び IAS 第 38 号はともに少なくとも年次で見積残存価額と予想耐用年数を見直し、気候関連事項から生じる変化を償却費に反映させるよう求めている。資産の陳腐化、法的制限、あるいは利用不可能性といった気候関連事項が見積残存価額や予想耐用年数に影響を与える場合があり、それらを変更するに当たっては開示が求められる。
(5) IAS第36号 資産の減損
パラグラフ 9~14, 30, 33, 44, 130, 132, 134~135
気候関連事項により資産 ( あるいは資産グループ ) に減損の兆候が現れる可能性がある。例えば、温室効果ガスを排出する製品に対する需要減少により、製造工場に減損の兆候が現れ、資産 ( あるいは関連する資金生成単位 ) の減損テストが必要になる場合がある。企業が操業している分野における重要な環境の変化 ( 例えば規制の変化を含む ) といった、企業に悪影響をもたらすような外部情報は減損の兆候となる。
企業が使用価値に基づく回復可能価額の見積を行っている場合、キャッシュ・フローの予測は経営者の将来の経済状況についての最善の見積にもとづいているが、企業には気候関連事項がそれらの仮定に影響を与えるかどうか検討することが求められる。使用価値のテストは現在の資産状況にもとづいて行われなければならないが、それはつまり資産に対する将来のリストラ、あるいは増強から生じる見積キャッシュ・フローを計算から除外することを意味している。
なお、IAS 第 36 号は減損損失を認識するに至るまでの事象や状況についての開示も要求している ( 例えば、製造コストを上昇させることになった温室効果ガス削減に関する法律の施行など )。
(6) IAS第 37号 引当金、偶発負債及び偶発資産及び IFRIC
解釈指針第 21号 賦課金
(IAS第 37号) パラグラフ 14~ 83, 85 ~ 86
(IFRIC解釈指針第21号) パラグラフ 8 ~ 14
気候関連事項は例えば以下に関連して負債の認識、測定、及び開示に影響を与える可能性がある。
- 気候関連の目標を達成できなった場合、あるいは特定の活動を制限あるいは推奨するための政府による賦課金
- 環境被害を救済するための法的要求事項
- 気候関連法制の改定の結果、潜在的な収益の喪失、あるいはコスト増を通じて企業に負担が生じる可能性のある契約
- 気候関連の目標を達成するための、製品あるいはサービスの再設計等
IAS 第 37 号は、発生時期や関連する資金収支の不確実性も示しつつ、引当金あるいは偶発負債の内容を開示するよう求めている。十分な情報提供のために必要であれば、引当金の金額に反映された将来の事象についてなされた主要な仮定についても開示が要求される。
(7) IFRS第7号 金融商品:開示
パラグラフ 31~42, B8
IFRS 第7号は、金融商品から生じるリスクの内容及び程度、そして企業がどのようにそれらのリスクを管理しているかを含めて、金融商品について開示するよう求めている。気候関連事項は金融商品に関連して企業をリスクに晒す可能性がある。例えば、予想信用損失の影響や貸し手にとっての信用リスクの集中等が挙げられる。
(8) IFRS第9号 金融商品
パラグラフ 4.1.1(b), 4.1.2A(b), 4.3.1, 5.5.1 ~ 5.5.20, B4.1.7
気候関連事項は金融商品会計に様々な形で影響を与える可能性がある。例えば、貸付契約が契約上のキャッシュ・フローを気候関連目標の達成に結び付ける条件を含んでおり、それらの目標が貸付金の分類や測定に影響する場合がある。
気候関連事項は貸し手の信用リスクの程度にも影響する可能性がある。例えば、山火事、洪水、あるいは政策や規制の変更が借り手の義務の履行能力に影響し、資産を利用不可能、あるいは保険適用不可能にすることで、貸し手の担保価値に影響を与える可能性がある。
(9) IFRS第 13号 公正価値測定
パラグラフ 22, 73 ~75, 87, 93
潜在的な法律の制定も含め、潜在的な気候関連事項についての市場参加者の見通しは、資産または負債の公正価値に影響を与える可能性がある。
気候関連事項は公正価値測定の開示にも影響を与えており、その開示はより包括的であることが求められるようになっている。例えば、公正価値ヒエラルキーのレベル 3 に分類される公正価値の測定に対しては観察可能でないインプット ( マーケットでは観察できないものの、公正価値測定のために考慮した、現状入手できる最良の情報 ) の開示が求められる。それらインプットには、市場参加者が価格付けの際に利用すると思われる気候関連リスク等を含んだ仮定が反映される必要がある。
(10)IFRS第 17号 保険契約
パラグラフ 33, 40, 117, 121~ 128, Appendix A
気候関連事項は保険が適用される事象の頻度と規模を増大させ、あるいは事象発生のタイミングを早める可能性がある。気候関連事項によって影響を受ける可能性のある事象の例としては、事業の中断、物的損害、病気や死亡が挙げられる。そのため、気候変動事項はIFRS 第 17 号を適用した保険契約に係る負債の測定に使用される仮定に影響を与える。また、気候関連事項は、IFRS 第 17 号を適用してなされた重要な判断や判断の変更、並びに企業のリスクの程度やリスクの集中および企業がそれらリスクをどのように管理し、リスク変数の影響を示す感応度分析をどのように行っているかについて要求される開示に影響する可能性がある。
5. 終わりに
2020 年 12 月、企業の気候変動情報開示の標準化を目指して世界的なフレームワークを構築し、有価証券報告書などにおける気候変動情報の開示に関する枠組みを提供することを目的とする、企業や環境関連のその他機関によって構成される気候変動関連情報審議会 (CDSB: The Climate Disclosure Standards Board)は、上記の IASBによる文書も基礎としながら、気候関連事項の開示のガイダンスとして「Accounting for climate」を公表しました。当文書は、気候関連事項に関する新たな会計基準を作成することが目的ではありませんが、①気候関連事項が財務報告に影響を与えているか、②気候関連事項が企業の財務報告にどのように織り込まれるべきか、③企業が気候関連事項を財務報告に織り込む際にどのようなステップを踏むべきかのガイダンスを提供しています。当ガイダンスの本文では、IASBによる教育目的文書をベースとした会計基準別の解説が行われていますが、添付書類ではさらに産業別の事例や、国別の法規制等を記載しています。
上記のような文書が次々と公表されることからも分かる通り、ESG投資の一環として気候関連事項やその他のエマージング・リスク等の開示に対する投資家の期待は一層高まっており、投資の選別の大きな判断要素になりつつあります。これら事項も織り込んだ財務報告は、長期的な企業価値創造に関わる重要な課題になるものと考えられます。
参考文献:
- BDO IFR bulletin: 2020/14 – Effects of Climate-Related Matters on Financial Statements
- IFRS Standards and Climate Related Disclosures: publication by IASB Board Member Nick Anderson
(November 2019)
- IASB educational material: the effects of climate-related matters on financial statements prepared applying IFRS Standards (November 2020)
- Accounting for climate issued by the Climate Disclosure Standards Board (December 2020)