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  • 日本企業へ求められる新たな非財務情報開示について ―どうする知財・無形資産の投資・活用戦略の開示と人的資本の開示―
ジャーナル:

日本企業へ求められる新たな非財務情報開示について ―どうする知財・無形資産の投資・活用戦略の開示と人的資本の開示―

2022年9月 20日

杉田 純(三優ジャーナル2022年8月号) |

 米国では、2020年にS&P500上場企業の市場価値につき、無形資産価値が有形資産価値を上回り全体の90%を占めるまでになっている。このことは、市場における企業価値が企業の貸借対照表には載らない知財・無形資産等により形成されていることを意味している。この状況を受け、我が国では、2021年6月のCGコードの改訂により上場企業は、知財・無形資産への投資について、自社の経営戦略・経営課題との整合性を意識しつつわかりやすく具体的に情報を開示・提供すべきである(補充原則3-1③)とされ、取締役会が、知財への投資等の重要性に鑑み、経営資源の配分や、事業ポートフォリオに関する戦略の実行が企業の持続的な成長に資するよう、実効的に監督を行うべきである(補充原則4-2②)とされた。この改訂により、企業は知財・無形資産の投資・活用についての戦略の構築・実行を進めて行くと同時に、戦略の開示を通じて、企業価値を向上させることが期待されている。
 以上のことから、内閣府知的財産戦略推進事務局、経済産業省産業資金課事務局が立ち上げた「知財投資・活用戦略の有効な開示及びガバナンスに関する検討会」から'22年1月28日に「知財・無形資産の投資・活用戦略の開示及びガバナンスに関するガイドラインVer.1.0(以下ガイドラインと称する)」が公表され、今後、企業の無形資産の投資・活用戦略の有効な開示とガバナンスの在り方のガイドラインが示された。また、企業の取締役や経営陣は本ガイドラインの内容を理解し、その役割と責務の理解を深め、必要な知識の習得や更新等の研鑽に努めることが求められており(原則4-14、取締役・監査役のトレーニング)、ガイドラインを十分に参照して、知財等の投資・活用戦略を通じた企業価値の増大を実践することが期待されている。
 ガイドラインでは「知財・無形資産」のスコープについて、特許権、商標権、意匠権、著作権という知財権に限らず、技術、ブランド、デザイン、データ、ノウハウ、顧客ネットワーク、信頼、レピュテーション、バリューチェーン、サプライチェーン、これらを生み出す組織能力・プロセスなど幅広くとらえている。
 例えばサービス業でも、ブランドや顧客ネットワーク、業務ノウハウ等の知財・無形資産が事業の競争優位(強み)でもある。又、ガイドラインの「エクゼクティブ・サマリー」では、投資家、金融機関へ企業が自社の現状の姿を正確に把握し、目指すべき将来の姿を描き、これらを照合することにより、知財・無形資産の維持・強化に向けた投資戦略を進めるにあたり、五つのプリンシプル(原則)が提示されている。【原則1】「価格決定力」あるいは「ゲームチェンジ」につなげる-価格決定力は、投資家が企業価値を評価する際に重視するポイントでもあり、日本企業のマークアップ率(原価の何倍の価格で販売可能かの指標)はG7国の中で最低である。これは他社製品・サービスとの差別化ができていないことを意味する。今後日本企業は価格決定力だけでなく、発想の大転換を伴うイノベーシヨンによる競争環境の変革(ゲームチェンジ)につなげ、新たな課題解決の価値化と有利な競争環境を創出し、競争力を維持・強化するための知財・無形資産への再投資の原資を確保し、持続可能性を高めることが重要課題である。【原則2】「費用」でなく「資産」の形成と捉える-知財・無形資産への投資は、現行の会計ルールでは、将来の収益稼得が不明なため、単年度の「費用」処理されるケースが多い。そのため、経営者は工場、設備などの有形資産への投資に傾きがちであり、知財・無形資産への投資を最小化する傾向にある。経営者は、知財・無形資産への投資を単年度の「費用」ではなく、「資産」の形成という発想を持つべきである。【原則3】「ロジックストーリー」としての開示・発信-企業は、自社の強みとなる知財・無形資産をどのようにサステナブルな価値創造とキャッシュフローの創出につなげるかを「ロジックストーリー」として説得的に投資家、金融機関へ説明し、社内外の関係者との戦略の共有化を図ることが重要である。この点の日本企業の開示・発信は不十分であり課題が残る。【原則4】全社的な体制整備とガバナンス構築-日本企業では、知財・無形資産の投資・活用戦略が企業価値に大きな影響を与えるものであるにもかかわらず、これまでは全般的統括を行う部門を有する企業は少なく、取締役会での全社横断的議論も行われないケースが多かった。そのため、社内で幅広く知財・無形資産を全社的に統合・把握・管理し、その活用戦略の構築・実行・評価を取締役会がモニターすることが可能なガバナンスの構築が必要である。【原則5】中長期視点での投資への評価・支援-知財・無形資産への投資から価値創造やキャッシュフローの創出につながるまでには一定のタイムラグがあることが多く、投資家、金融機関にも企業の取組みを長期的な観点から評価し、支援する姿勢が求められる。とりわけ、近年のESG課題の解決に資するような知財・無形資産の投資・活用戦略には経営判断を後押しする積極的なアクションが求められる。
 今後、企業は知財・無形資産の投資・活用戦略の構築にあたり、上記の五原則を踏まえて、以下のプロセスを進めて行くことが必要である。▶第1ステップ自社の現状のビジネスモデルと強みとなる知財・無形資産の把握・分析-企業は、自らのビジネスモデルを検証し、自社の経営において、どのような知財・無形資産が自社の競争力や差別化の源泉としての強みになっており、それが、どのように現在および将来の価値創造やキャッシュフローの創出につながっているかについて把握・分析し、自社の知財・無形資産を「見える化」することが重要である。また、IPランドスケープ手法などの活用により、自社の知的財産とその市場を総合的に分析する。このため専門家による特許マップの作成などから、他社による技術開発の動向なども分析し、自社の注力分野、新製品開発分野などに役立つ情報を整理する。日本企業では、従来まず技術を開発してから何に使えるかを検討する企業も多かったが、このことが日本企業の弱みでもあり、技術オリエンテッドでなく、むしろ創出される社会価値、経済価値から逆算し、自社のどの知財・無形資産が強みであるか特定することが重要である。▶第2ステップ知財・無形資産を活用したサステナブルなビジネスモデルの検討-まず、技術革新・社会・環境をめぐるメガトレンドのうち自社にとって重要となる事象を特定し、自社のパーパス、価値創造の方針を明確化することが求められる。その上で、価値創造方針を踏まえ、自社の知財・無形資産(インプット)をどのような事業化を通じて製品・サービスを提供(アウトプット)し、社会価値・経済価値(アウトカム)に結び付けるビジネスモデルを構築するかが求められる。結果として、自社の知財・無形資産の役割・機能を明確化することが重要である。▶ステップ3競争優位を支える知財・無形資産の維持・強化に向けた戦略の構築-企業は、既に明らかになった知財・無形資産の現状から将来目指すべき姿と照合し、不足する分野についてどのような投資を行うか、いつ・どのように見直していくかを検討する必要がある。この中では、ビジネスモデルを守るため(他社による侵害、価値棄損への対応、自社権利の維持管理や秘密保持体制の構築など)、自社内だけでの創出でなく、スタートアップとのアライアンス、M&A、サプライチェーンとのパートナーシップなどによる外部リソースを活用するというオープンイノベーションの必要性も高まっている。
 さて、以下では、知財・無形資産の創出という観点で「人的資本」の強化が重要であることから、「人的資本の開示」についても詳述することとする。前述の知財・無形資産はいうまでもなく、「人」や「組織」から生み出されるものであり、このような「人的資本」により長期にわたり企業によって培われ、育成されるものであり、その結果、企業価値向上の源泉となるのである。なお、人的資本の定義については、ISO30414(人的資源管理-内部および外部への人的資源開示ガイドライン)では「人的資本には、組織の人々に蓄積された知識、スキル、能力、及び組織の長期的なパフォーマンスへの影響ならびに組織の成果の最適化による競争優位も含む」とされている。以上のことは、人的資本開示のニーズが急速に高まった2000年ごろから整備が進んでいた。例えば、GRIスタンダードは2000年に公表されており、経済・環境・社会の側面について開示すべき項目やKPI(主要な経営指標)を定めている。他方、SASBスタンダードは2018年に公表され、GRI同様にESGについてKPIを定めているが、業種、産業毎にKPIはカスタマイズされている。これらのフレームワークは総じてESGのうち主眼が「E(環境分野)」に置かれてESGの3分野をカバーしている。これに対して2019年にはISO30414が公表されており、ESGの「S(人材分野)」に特化し、体系的にカバーされている。このため、日本の「非財務情報の開示指針研究会(経済産業省)」では、人的資本の基本情報の論点構造としてISO30414を挙げている。ISO30414の開示領域は、経営戦略の実現を支える人的資本の価値を最大化する取組みを通じて、中長期的な企業価値増大を目指し、価値向上のための領域と人的資本に係る公平性・公正性確保の取組を開示することで、投資家からの評価ニーズに応える「リスクマネジメント」のための領域で構成されている。ISO30414は他のISO規格とは異なり、「ガイダンス規格(Should(が望ましい))」であり、これは人的資本管理による組織の持続可能な発展を促す施策は組織によって異なるからとされている。他方、米国ではSECのレギュレーションS-Kの改訂により、2020年11月9日以降、「人的資本」情報の開示について、①人的資本の説明、②重視する人的資本の取組と目標の2点の開示が義務化された。更に米国下院では2021年6月に議員起案で「人的資本の開示」についての法案が通過し、法制定後2年以内にSECから基準が公表されない場合にはISO30414またはそれに類するものによる開示を行うと明記された。
 ここで、ISO30414の概要と開示項目について見てみると、1「適用範囲」、2「引用規格」、3「用語および定義」、4「人的資本プロセス」の4章からなっており、人的資本プロセスでは、11領域58項目の測定項目が規定されており、それぞれ「大企業」、「中小企業」について推奨する項目も指定されている。また、それぞれの項目につき「社内で論議すべきこと」、「社外に開示すべきこと」が規定されている。重要な特徴としては、報告は「数字」で行われることが挙げられる。その数字を算定するためのデータの定義、計算方法、開示例など詳しく規定されている。なお公表データは3年分必要とされている。現状のISO30414にはISO認定機関の認証制度は存在しないが、今後規格の見直しや新たな認証規格の制定などによりISO認証規格が制定される可能性は高いと思われる。11領域は、「1.コンプライアンスと倫理(管理指標:苦情の件数と種類、コンプライアンスの研修を終了した従業員数他3指標)、「2.コスト(総人件費または総労働コスト他6指標)」、「3.多様性(労働者の多様性(年齢、性別、障碍、その他)他1指標)」、「4.リーダーシップ(リーダーシップの信頼、統制範囲他1指標)」、「5.企業文化(エンゲージメント、従業員満足他2指標)」、「6.健康経営(業務上の負傷、事故、疾病による損失時間、労働災害の発生件数他2指標)」、「7.生産性、従業員一人あたりEBIT/売上/利益他1指標)」、「8.採用・異動・離職(現在と将来の人材の充足度、内部充足度、離職率他12指標)」、「9.スキルと能力(総教育費、教育活動-研修参加率、平均研修受講時間他2指標)」、「10.後継者育成計画(後継者有効率、後継者準備率-現在、1-3年、4-5年、他1指標)」、「11.労働力の確保(従業員数、FTE-フルタイム雇用、臨時雇用労働力-フリーランス、一時雇用他1指標)」である。以上のように人的資本開示の標準的手法により、価値の比較可能性を確保し、人的資本の現在、将来のパフォーマンスへの理解、評価を高めることの可能性が増大すると期待されている。